『我的阿勒泰 To the Wonder』 ★5
周依然(ジョウ・イーラン)さん、于适さん、主演のヒューマンドラマです。全8話。
周依然(ジョウ・イーラン)さん、「タマシイ・トレード! / 反转人生」を視聴しました。
于适さん、初めてお目にかかりました。
このドラマの簡単なあらすじは
李文秀 は乌鲁木齐のホテルで働きながら作家になることを夢みていますが、要領があまり良くなく、何かと失敗が多いため、一緒に働く仲間からはからかいの対象になっています。
そんな時、仲間に書き溜めていたエッセイを人前で読まれたことで、仕事道具を壊しホテルを首になってしまいます。
しかたなく 李文秀は母 张凤侠と認知症気味の祖母の暮らす阿勒泰へ行くことにします。
母 张凤侠は父が死んだ後から生活の変化を求めて 阿勒泰へ引っ越して雑貨店を営んでいるのですが、初めて行った阿勒泰は本当に何もない場所でした。
李文秀は心機一転阿勒泰で 张凤侠の仕事を手伝いながら、新たな生活を言葉にしていくのです。
阿勒泰の生活に少し慣れた頃、张凤侠は遊牧民たちと一緒に夏の牧場に行って商売をすると言います。しかも国道を通る普通のルートではなく、今は通る人もあまりいないルートを通ってそこまで行くといい、そのルートを唯一通る 苏力坦、巴太、親子と一緒に出掛けることになります。
始めは店を手伝い少しお金を貯めて、別のところで小説を書こうと思っている、李文秀ですが店のツケを回収するという仕事はまったく上手くいかなくて、結局 张凤侠といっしょに夏の牧場までいくことにするのです。
その過程で 李文秀と巴太はどんどん仲良くなっていくのです・・・
このドラマの私の一番は
「役に立ったってどういうこと?あなたは誰かに奉仕するために産まれて来たの? この草原の草や木を見て、人が使えば役に立つけど、誰も使わなくても何にも問題ない、ただここに存在するだけでいいでしょ?」
という、母 张凤侠から娘 李文秀への言葉と
「あの日殴ってすまなかった。俺の好きな人生が消えて行くのが辛かった。もう鷲も飼えない、猟銃で狩りをすることも出来ない、移動する時は車で道路を走る、お前も遊牧民でいたくないのだろう・・・。この世界はこんな風に発展していかないといけないのだろうか・・・俺には理解できん」「ごめん、父さん。おれも悪かった」「いや、お前は良い子だ、何も悪くない。ただ俺は草原に留まらしてほしい、遊牧民として人生を過ごしたい」
という、父 苏力坦から息子 巴太への言葉です。
ドラマ原作が魯迅文学賞という賞を受賞したという 李娟さん著の「我的阿勒泰」(「アルタイの片隅で」翻訳本出版されてます)という散文ということで、ドラマ自体がもう文学作品という出来栄えで。美しい映像と美しい音楽。
汉族の女性二人が(おばーちゃんも入れて三人)、遊牧民の地アルタイで雑貨店を営みながらの自分の心を見つめていく姿が、大自然と映しだされています。
夫が亡くなってから酒に浸り、心の穴を埋めようともがく 张凤侠は、5年という月日を区切りに夫と出会った場所に遺灰を撒こうとしている。
街での仕事が上手くいかずに母の元に来た 李文秀はアルタイの暮らしを見つめることで書きたい事が、言葉が溢れるようになる。「愛を知り、暮らし、怪我もして、他人を傷つけた」と苦しくも成長していくのです。
娘が都会で何かあり戻って来てもそれについては何も言わず、ちょっと突き放したような言動の 张凤侠なのですがとても娘のことを理解していて。母親として娘にかける上記のセリフの母の凄さが刺さりました。
時代の変化に戸惑いそれを他の人のように簡単に受け入れられない 苏力坦の姿にも心打たれてしまいました。
私は子供の頃から、都会的なものより古典的伝統に興味のある子で。太田裕美の「木綿のハンカチーフ」の歌詞のように♪草に寝転ぶ あなたが好きだったの♪と同世代の子たちの都会に憧れる気持ちもわかるけど、草に転がれるような場所が好きという子でした。ので、苏力坦の「こんな風に発展していく世界」にとても共感してしまいました。
光源がない月あかりだけの夜の映像が、電灯がないであろう自然の中のアルタイを表現していて、その暗さに夜のシーンはパソコンに写る自分しか見えず、その顔にびっくりしたりしましたが、(その衝撃を逃れるために部屋の電気を消して視聴しました)不自由そうで自由なその暮らしが、自然が美しかったです。
雨漏りのテントの工夫や、ビニール掛けて寝る姿、洗濯に川に行き、娯楽は村の祭りのダンス。
自然に沿ったスローな生活に突然現れた異端な存在が引き起こす事件。そのクライマックス、感情を削ぎ落し覚悟を決めた巴太の顔、飛び散る火花、放たれる矢、真っ赤に染まった世界・・・哀しくも美しかったです。
(画像出典 百度百科)